2019年9月26日放送の『奇跡体験!アンビリバボー』で、杉田秀之さんが取り上げられます。
そこで今回は、そんな杉田秀之さんの波乱万丈の経歴を紹介していきたいと思います。
また、杉田秀之さんの現在は年収2000万円の会社員なのかも合わせてお伝えします!
杉田秀之のプロフィール
名前 | 杉田秀之(すぎたひでゆき) |
生年月日 | 1988年4月15日 |
出身地 | 東京都 |
身長 | 173cm |
体重 | 90kg |
杉田秀之の波乱万丈の経歴を紹介!
杉田秀之さんはラグビーの強豪校・慶應義塾高校を卒業後、慶應義塾大学に進学。
大学1年生になったばかりの2007年8月26日、長野・菅平高原で行われた夏合宿の練習試合でプロップとして出場されます。
しかし、この試合でスクラムを組んだ際、スクラムが崩れ、第5、第6頸椎間で頸髄を損傷。
ドクターヘリで下山し、長野市内で手術を受けると「生涯歩くことはできない」と診断されてしまいます。
ところが、寝たきりを診断された約2週間後に長野県の病院から慶應義塾大学病院に転院すると、奇跡的な回復を成し遂げられます。
- 触診による感覚のテストで、医師の指の感触が分かるように。
- 上半身の感覚も徐々に戻り、次第に下半身も戻ってきた。
そしてついに、
『もし今度動くとしたら足の指だから頑張れ』と医師に言われて、ずっと睨みつけていたところ、右足の指がピクッと動いたそうです。
その後、再度診断してみると、神経は完全に断裂していないことが判明!
徐々に回復していったそうです。
そんな完全麻痺の危機は脱した杉田さんは、慶應義塾大学病院で頸椎の固定手術をしたのち、2カ月後に都内のリハビリセンターに転院。
寝ながら膝を起こす、腕を動かす、歩行器を使うなどのリハビリを行われます。
このとき、約150人いた2007年度の慶大ラグビー部員は、ローテーションでお見舞いに来てくれていたそうです。
しかし、毎日のリハビリ生活を送る中で、杉田さんは「チームに迷惑をかけている。自分では何もできない。」と思うようになり、気持ちが沈んでいったそうです。
そんなある日。
リハビリセンターにいた車椅子の男の子に「お兄ちゃんは歩けていいね」と声を掛けられます。
このとき、杉田さんは確かに歩行訓練はしていたが、自分にしてみればまったく歩けていなかった。
しかし、車椅子の男の子にしてみれば、素晴らしいことなのだと気づかされたそうです。
そこで、小さな使命感が芽生えた杉田さんは、
-
「僕はいろんな人に支えられてきた。今度は僕がこういう子どもたちを支える番。未来は自分次第で切り開けるということを伝えていきたい。子どもたちの希望になりたい」
と思うようになり、アメリカ・サンディエゴで最先端のリハビリに取り組まれます。
そして帰国後の2009年、杉田さんは慶應義塾大学に復学。
同期との最後の1年間を、慶大ラグビー部のスタッフとして過ごされます。
杉田秀之の現在は年収2000万円の会社員?
そんな杉田さんは2012年に大学を卒業し、新卒で外資系金融会社のゴールドマン・サックスに就職されます。
現在も四肢に麻痺は残り、長時間の歩行では杖が必要になるそうですが、投資信託の設定・管理業務などに携わり、忙しい日々を過ごしておられます。
年収はいくら?
そんな杉田さんの年収が気になりますよね。
当然ながら、本人は年収を公表していませんが、
噂によると、ゴールドマン・サックスは新卒でも年収1000万円超えると言われているので、杉田さんはそれ以上だと思われます。
また、日本人の年代別の平均年収は以下の通りなので、
現在(2019年9月)31歳の杉田さんは、2000万円以上の年収の可能性が高そうです!
杉田秀之が富士登山に挑戦!
実は、杉田さんが頸髄を損傷したとき、合宿最後に予定されていた富士登山は急遽中止となっていました。
そのため、その時を知る慶大ラグビー部の同期たちは、結婚式などで会うたびに杉田さんに、
「いつ富士山登んの?」
「みんな待ってんだけど」
とイジってきたそうです。
そこで、2018年2月、慶大同期の結婚式に参加した杉田さんは、ついに仲間の前で富士登山を決意。
同年3月から本格的にトレーニングを始められます。
そして、2019年8月26日、無事に富士山の頂上に到達されます!
やりました!ゴールドマン・サックスの杉田秀之が大学時代のラグビーで負った障がいを乗り越え、当時の仲間と一緒に富士山の頂上に到達。#杉田富士登山計画 がとうとう成功の瞬間を迎えました。 pic.twitter.com/PednpYxIMz
— Goldman Sachs (@GoldmanSachs) August 26, 2019
このときを杉田さんはこう振り返られました。
-
「ラグビー部のみんなが支えてくれたから頑張ろうと思えたし、彼らのおかげで今も頑張ることができています。良い仲間、良い指導者、良い組織とラグビーができた。それが僕の財産です」
コメントを残す