2019年11月19日、元フィギュアスケート選手の織田信成さんが、関西大学アイススケート部の濱田美栄コーチに対し、損害賠償1100万円を求めて大阪地裁に提訴しました。
そこで今回は、そんな話題の人物・濱田美栄コーチの若い頃のかわいい画像を幼少期から現役時代まで見ていきたいと思います。
織田信成 トップ選手指導の濱田美栄コーチを提訴
フィギュアスケートの元オリンピック選手の織田信成さんが、監督を務めていた関西大学アイススケート部で、多くのトップ選手を指導してきた濱田美栄コーチから無視や陰口などの嫌がらせを受けたと主張して慰謝料を求める訴えを起こしました。
※大阪地方裁判所に訴えを起こしたのは、元フィギュアスケート選手の織田信成さん。
訴えなどによりますと、織田さんはおととし4月、出身校の関西大学のアイススケート部の監督に就任しましたが、その頃から濱田美栄コーチに無視されたり陰口を言われたりする嫌がらせを繰り返し受けたと主張。
そして精神的な苦痛から体調を崩し、ことし9月に監督を辞めざるを得なくなったとして、濱田コーチに1000万円の慰謝料を支払うよう求めています。
提訴後に会見した織田さんは、関西大学に調査を求めたものの十分に行われなかったうえ、逆に事実関係を明らかにしないよう求められたと主張し、大学を批判しました。
そのうえで提訴に踏み切った理由について「スケートリンクにいる学生や選手たちがよりよい健全な環境で練習できるようにしたいと考えた」と説明されました。
提訴されたことについて濱田美栄コーチは今のところコメントを出していませんが、関西大学は「提訴の内容について承知していませんのでコメントは差し控えます。アイススケート競技がシーズンに入り、多くの選手が懸命に取り組んでいるこの時期に提訴がなされたことは、大変残念です。これまでどおり静かな環境の維持、向上に取り組んでまいります」とコメントしています。
濱田美栄コーチの若い頃(昔)がかわいい!幼少期から現役時代まで!【画像】
そんな濱田美栄コーチの若い頃が気になる方も多いと思います。
なので、ここからは濱田美栄コーチの幼少期から現役時代までの画像を見ていきましょう!
1959年10月29日、京都府京都市で生まれた濱田美栄コーチ。
小学3年生のときに母親がスケート教室に申し込んだことをきっかけにスケートを始めたそうです。
小学3年の冬休みに、自宅近くのアイスリンクで短期のスケート教室があると知った母が申し込んできました。「氷の上でクルクル回るやつ」ってイメージしかなかった時代です。
初めてスケート靴を履くと、まあまあ、滑ることができたんですね。それで楽しくなって、もっと続けたな、と。小学4年に上がってから本格的に習うことになりました。
当時の私は、習い事が続かなかったんです。姉と一緒に始めたピアノも、座っているのが嫌で途中でやめてしまいました。母からは「やってもいいけど最後まで続けること」と約束させられました。
引用:サンケイスポーツ
その後、中学1年生のときに行われた札幌オリンピックのフィギュアスケート女子シングルスで、銅メダルを獲得したアメリカ代表のジャネットリン選手に魅了され、フィギュアスケートにのめり込んでいったそうです。
現役時代は全日本の10位が最高成績だった濱田美栄コーチ。
当時通っていた同志社大学を卒業したタイミングで現役を引退し、コーチへと転身されました。
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